〜TIFFANYの歴史〜
1837年9月18日、チャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤングの二人は、
ニューヨーク市ブロードウェイ259番地に文房具と装飾品の店「Tiffany&Young」を
オープン。初日の売上は僅か4ドル98セントだったそうです。
しかし、この日から全てのティファニーの歴史が始まったのです。
1837年 | チャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤングの二人が、ニューヨーク・ブロードウェイ259番地に文房具と装飾品の店「Tiffany&Young」をオープン。 |
1845年 | 「Tiffany,Young & Ellis 」社として最初のカタログを発行。現在発行されているカタログにも「ブルー・ブック」として継承。 |
1848年 | 二月革命から逃れたフランスの貴族たちより宝石を入手。アメリカに最初に渡った重要な宝石として記録される。これによりティファニーは、アメリカを代表する宝石商としての地位を確率した。チャールズ・ルイス・ティファニーは、「キング・オブ・ダイヤモンド」として広く知れ渡る。 |
1850年 | 「Tiffany, Reed & Co. 」社、パリ出店。 |
1851年 | ニューヨークの銀細工師、ジョン・C・ムーアの事業を買収。ティファニーは銀製品製造を開始。アメリカ企業としては初のスターリングシルバー基準を適用。後にアメリカ合衆国の純銀標準として採用。 |
1853年 | チャールズ・ルイス・ティファニーが共同経営者達から経営権を買い取り、「Tiffany & Co. 」と改称、ブロードウェイ550番地に移転。 |
1867年 | パリ万博にて、ティファニー社はアメリカ企業としては初の銀器部門で優秀賞を獲得。 |
1871年 | 銀器のデザイン「オーデュボン」を発表。 |
1873年 | ティファニー製の水差しがアメリカ製銀製品としては初めてボストン美術館に所蔵される。 |
1878年 | 前年、南アフリカのキンバリーで発見された287.42カラットのイエロー・ダイヤモンドの原石を、1万8千ドルで購入。Dr.ジョージ・フレデリック・クンツにカットさせる。Dr.クンツによりカラットが世界標準単位となる。現在、このダイヤは 90面カット・128.54カラットの有名なティファニー・ダイヤモンドとして5番街本店の入り口に展示中。 |
1885年 | アメリカ合衆国公印のデザインを製作。1ドル紙幣に使用される。 |
1886年 | ダイヤモンドを6本の爪で支える「ティファニー・セッティング」を発表。 |
1926年 | ティファニー社が採用しているプラチナの純度基準を、アメリカ合衆国政府が公認する。 |
1940年 | 本社を現在の5番街57丁目に移転。 |
1952年 | パリ店を閉店。 |
1956年 | マスター・ジュエリー・デザイナーであるジーン・シュランバーセーが、ニューヨークのティファニー本店にサロンをオープン。 |
1963年 | サンフランシスコ店オープン。 |
1969年 | チャールズ・ルイス・ティファニーの玄孫、ヘンリー・B・プラット ティファニーはタンザニアで発見されたブルーのカラーストーン「タンザナイト」を発表。 |
1972年 | 三越日本橋店に出店。 |
1974年 | エルサ・ペレッティが、ティファニー専属デザイナーとして作品を発表。 ヘンリー・B・プラット ティファニー、ケニアで発見されたカラーストーン「ツァボライト」発表。 |
1980年 | パロマ・ピカソ、ジュエリー・コレクションを発表。 |
1986年 | 第2次世界大戦後に閉店していたロンドン店をオープン。 |
1987年 | ニューヨーク証券取引所に上場。創設150周年記念として、銀器・宝飾品の回顧展がアメリカ自然史博物館・ボストン美術館・フィールド自然史博物館・メトロポリタン美術館で開催。同年、社名を冠した香水「TIFFANY」を発表。 |
1997年 | ニュージャージー州にカスタマーサービスセンターをオープン。 |
1999年 | ダイヤモンド・リング「Lucida」を発表。 |
2002年 | ウォッチコレクション「ティファニーマーク」登場 |
2005年 | 建築家フランク・ゲーリー(Frank Gehry)と新パートナーシップを締結。 |
2006年 | フランク・ゲーリーがクリエイトするティファニーの新コレクション発売。 |
2007年 | ティファニー ノヴォを発表。ウォールストリート37番地にティファニーブティックをオープン。 |