解 説

 

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 +++++ 陰陽説思考の弊害 +++++

 

 この作品の執筆のきっかけは、民主主義を説く日本のメディアや知識人の多くに共通して見られる、ある偏狭な思考回路が気にかかった事です。それが「陰陽説」です。元々陰陽説は朝が来てやがて夜になる、夏が来てやがて冬になるといった自然の営みを定義化したものだったのですが、彼らはその定義が政治の世界にも応用できると考えたのです。そうして生まれたのが政治の世界における陰陽関係です。男と女、国家と国民、公と個、日本と外国といった陰陽に区分けされていくことになります。二者に区分けされれば当然、どちらを優先すべきかという話になるわけで、前者を陽、後者を陰と定義づけたのが、右上位(みぎじょうい)の考える戦前日本の体制なのです。そしてこの体制の悲劇的結末に呼応して登場したのが左上位(ひだりじょうい)です。しかし左上位の考える民主主義では、前者が陰、後者が陽とみなされています。すなわち右上位の考える陰陽を、単細胞的にひっくり返しただけのことなのです。国家の存在そのものを否定したり、男社会に対する執拗な当て擦りは、滅公奉私や女尊男卑の風潮を生み出しても、公私対等や男女平等にはなり得ません。それは右上位とは正反対のことを言う左上位の思考回路が、肝心なところで右上位とまるっきり同じだからです。

 

「陽と陰は相反する存在だから、相反する態度をとるべし」

 

こんな思考が、右上位、左上位に共通してあります。すなわち片方肯定すれば、もう片方は必然的に否定となるのです。他人を肯定するために自分を否定したり、自分を肯定するために他人を否定したりという悪循環が陰陽説の法則ごとく繰り返されています。世の中には陽と陰の二つの価値観しか存在せず、片方は善で、もう片方は悪だという固定観念を左右双方が持っているため、いくら多様な価値観、平等精神と叫んでも、全く意味がなくなっているのです。

 

 現在の日本では、陰陽説は昔の思想という見方が一般的ですが、実はこの思想は現在も日本人の思考回路に多大な影響を与えています。評論家はよく日本人は画一的だの排他的だの批判しており、その原因を「寄らば大樹の陰」とか「旅の恥はかき捨て」とか、まわりくどい諺で説明しようとしていますが、そんな必要はありません。すべて陰陽説で説明できます。陽に対する妄信と、陰に対する排除というスタンスは陰陽説の思考回路が生み出したのです。むしろ論者が陰陽説を非科学的、時代遅れとみなし、研究しようとしないのは、これをバラせばこれ以上国民を騙すことができなくなるという、優越意識に由来していると推測せざるを得ません。

 

 メディアでは、右翼・左翼といった表現が使われていますが、陰陽説思考が生き続けている現時点において、日本の政治各論を色分けする上で、誤解を招くことになりかねません。本書で右上位・左上位という言葉が出てきた時は、政治論者の中で、特に陰陽説的な思考回路で考える人を指しています。短絡的な二項比較(一対多の比較すらある)を好むこと、中身でなく外見で人の善悪を判断することなどの特徴があります。右上位はその政治的スタンス上、右翼と重なり合うのですが、左上位を左翼と混同するのは極めて危険です。私は真剣に差別や偏見と闘っている左翼と、それに便乗して汚い理論を飛ばす連中とを区別するために、左上位という言葉を用いました。

 

 左翼と左上位の違いをひとことで言えば、「反差別」と「逆差別」の違いです。左上位は、自分たちが陽と見做している範疇では反差別を徹底しようとするのですが、気に入らない連中に対しては、かたっぱしから帝国主義者のレッテルを貼り付け、潰そうとする。陰陽説思考をベースとした反差別思想とは、陰に対する差別を正当化するための思想なのです。

 

 こうした人間が好むのが「日本人はYes/Noはっきりしない」という批判です。しかし彼らの言うYes/Noはっきりしろとは、相手を全面否定することから始まっており、民主主義の精神に基づいたものでは決してない。本来無数にあるはずの価値観を強引に二つ(一つとそれ以外)に集約し、無理矢理ひとつの思想に従わせようという野心がにじみ出ている。異なる価値観を尊重しない人間ほど、こうした批判をすることに問題があるのです。自由な選択肢が存在しないことが国民の決断を躊躇させる元凶となっているのに、そうした社会に仕立てた人間が平然と国民を罵っているのです。

 

 このような戦後日本の歪められた民主主義に対する問題提起として、私は陰陽説を取り上げました。「国家がどうあるべきか考えるな、自分がどうあるべきか考えろ」のようなプロパガンダに秘められた悪意を見抜くためにも、陰陽説は重要となってきます。良きにつけ悪しきにつけ陰陽説は私たち日本人の思考に多大な影響をもたらしています。この陰陽説に対してどのように向き合っていくのかが問われていると思います。

 

 

 +++++ キャラクターの由来 +++++

 

 紀元前2〜3世紀に中国から伝来した陰陽説は、日本において呪術と融合することにより独自の進化を遂げた。安倍晴明(あべのせいめい)は今昔物語や宇治拾遺物語などに登場する伝説の陰陽師(おんみょうじ)であり、悪事を働く蘆屋道満(あしやどうまん)に対し、呪術で戦いを挑む人物として、描かれてきた。陰陽師を題材とした作品は現在に至っても数多く作られており、2001年に映画化された他、漫画やゲーム、動画サイト等においても話題を集めている。

 

 今回手がけた作品については、現代日本が抱える政治的社会的問題についての考察がメインのため、方向付けが異なりますが、日本の民主主義が、よからぬ呪術によって脅かされている、それを主人公が呪術によって解き放つといった筋書きは、ストーリー的要素を出すために有効だと思い、採用しました。

 

 舞台が冷戦終結後の日本ということで、主人公の名前も、現代風に安倍晴明(あべ はるあき)にしました。晴明の彼女である笛美については、歴史的情緒を感じさせる名前であると同時に、フェミニズム(男女同権論)にも通じています。本当はこの名前は、左上位のメンバーとして登場する女性に使いたかったのですが、笛美という名前があまりにもカワイイので、敵役にはもったいないと思い、変更することにしました。

 

 慈円田(ジェンダー=性差問題)笛美というと、いかにも凝り固まった左女というイメージがあるのですが、連載中の作品で津宵恩奈(強い女)とされている人物が元々はこの名前だったといういきさつがあるのです。

 蘆屋道満については陰陽師諸作品と同様、敵役にまわって頂いております。

 

 そんな訳で「陰陽日本現代史」、現代に呪術とは、設定に無理があったかなと思ったりもしますが、本格的な長編小説に仕上げたいと思いますので、応援よろしくお願いします。