「美濃正木陶芸の家」の生い立ち
|
美濃正木陶芸の家は 〒501-6228 岐阜県羽島市正木町不破一色296 番地・不破医院の邸内の一角、通称「水屋」と言われる高台にあります。 明治初年、本宅建築中の4年間、仮診療所として使われ、以後不破為信 杏斎の「隠居所」として、東・南・西の三方向から陽光を受けるため、 『三陽閣』の名前があります。この間、明治-大正−昭和の時を過ごし 、特に昭和の時代は、名古屋から戦争の為に、疎開してきた父親の兄弟 が居住し、戦後は、祖母の隠居所として使われ、『三陽閣』のお座敷は 私の小学校時代の勉強部屋だったりしました。(『三陽閣』のお座敷は改築 後の現在も、畳の間として、そのまま残しました。) 祖母が昭和39年に亡くなってからは、ほぼ無人となり、長らく廃屋 同然でした。 平成6年に、隣町の女性陶芸家・近藤 曉女史の個展を見て、私自身 が陶芸に憧れていた時でもあったため、とんとん拍子に話が進み、廃屋 同然の「三陽閣」を陶芸場にすることを決め、自分で改築し始めました 始めは、一人でこつこつ作業(畳の間のお座敷を残して全部コンクリー ト土間にするための床剥がし工事・延べ13坪≒43u)をしていました。 基礎コンクリートを打つまでの、鉄筋を45cmピッチのところを、重たい窯 (1.5t〜2t)に耐えられるように、窯場は20cmピッチで鉄筋を網みました。 (鉄筋は尺八仲間の岐南町の太田喜晴氏に都合してもらいました。) 遅々として進まぬ工事に、 見るに見かねて邦楽仲間の50余名の方たちの、 手渡しによる瓦降ろしや埃まみれの壁土落しを手伝っていただきました。 土間コンクリートを打つときも30名余の仲間に手伝っていただけました。 その後、築250年(元々は江戸時代の建物で、明治24年10月24日 の濃尾大震災で倒壊した、江戸次第から続いていた、入院部屋の古材を使 って、仮診療所に建てなおしたもの)の古い家のため、壁の補強には特に力 を入れ、柱を20本追加しました。 壁には本格的な竹下地の竹を尺八仲間の岐阜市の大洞さんに都合して いただき、竹下地作りには尺八仲間の角野さんを始め、桑名・仁田原・ 赤地・岡崎・石槫さん達と組みあげました。 竹下地を編み上げた後、土壁の下地塗りは全身ドロドロになりながら 近所の人や気の良い友達の西志計利さんにに手伝ってていただきました。 中塗りを三須幸雄さんにしていただき、最後の上塗りは、尺八仲間の元 左官の岡崎郁也さんや岐阜・岩地の赤地芳一さんに手伝ってもらって、 白漆喰壁で仕上げてもらいましました。 トイレの下水排水工事作業や上水道工事・電気の配線工事は自分でや りました。 陶芸場の内壁の腰には、粘土の土で汚れる事を考えて、廃材や廃屋の板 を利用して、ほぼ全周、自然木板を使いました。工事は佐藤 昭氏(会員 の佐藤康子さんのご主人)が、お正月の2日から私が作業しているのを見 かねて、こつこつと三ケ月手伝って、内腰壁から、外壁全周を杉板(この 杉板も床板の廃材を知人がわざわざ愛知県萩原市まで取りに行って調達し てもらいました)で囲っていただきました。 屋根は隣の三須杏市さん(陶芸会員)と故・三須幸雄さんと私の三人で、 屋根下地の垂木から、屋根下地まで新品にして、全部、瓦を葺きなおし ました。真夏の暑い最中でしたので、作業は大変でした。 この様に大勢の方たちの善意と努力で、平成7年4月29日に無事竣 工しました。この日に園遊会を同時開催して、皆さんに披露したところ、 80名の会員応募があり、講師の近藤 曉さんを困らせるほどでした。 現在は落ち着いて、50余名で活動しています。今回、8年目にして初 めての、美濃正木陶芸の家作品展を開催しましたところ、50名の会員 から、500点余の作品が展示され、さしもの羽島市文化センターの展 示会場「円空」も一杯になるほどの作品が集まり、初回の作品展と言う こともあり、ほ全部を展示しました。このため、沢山在りすぎて、ゴチ ャゴチャして見難くかったことは否めませんが、これも会員の熱意とし て受け止めてください。(作品展へのリンク) |