(3)八劍神社の紹介

『八劍神社の宝物展』

八劍神社は、不破源六廣綱が竹鼻城に在城の天正年間(1573〜1584)の天正九年、当時竹鼻町の西端(字須賀)内元宮を竹鼻城の鬼門の守りとしての氏神として遷祀した伝記を持っている。日本武尊を祭神としている。

本社殿は権現造り。木造桧皮葺一階建(現在は濃尾震災後の再建)今回は、特別展の中心に(延享五年-1779-戊辰八月吉日奉納)の三十六歌仙 桧板彩色絵の扁額や木製狛犬一対・竹鼻八劍宮絵地図・拝殿天井絵など大変貴重で、一般に公開さ;れる事の無った、貴重な資料が展示されました。宝物展は終了しましたので、ここで公開いたします。
※三十六歌仙 桧板彩色絵の扁額の大きさ-----縦・43.0cm×横幅・30.3cm 桧板厚さ・約1.2cm

   尚、扁額の枠を含めると、縦・46.0cm×横幅・33cmに収められている

   裏面には裏書きがある。下段・「現在の竹鼻八劍宮の景観の補充」の一番目を参照の事。


竹鼻八劍宮絵地図をモチーフにした、パンフレット
羽島市歴史民俗・映画資料館製作

八劍神宮御宝物
「三十六歌仙」
扁額解説

柿本人麻呂
ほのぼのと あかしの浦の あさぎりに島がくれゆく 
 舟をしぞおもう


凡河内躬恒
おおしこうち みつね
住の江の 松を秋風 吹くからに 声うちそふる 沖つ白波

大伴家持
春の野に 
あさる雉の 妻恋に 己があたりを 
 人に知れつつ

在原業平
世の中に たえて桜のなかりせば 
春のこころは 
 のどけからまし

素性法師
そせいほうし
見渡せば 柳桜を こきまぜて 都ぞ春の にしきなりける

猿丸大夫
わちこちの たつきもしらぬ やま中におぼつかなくも  呼子鳥かな
 

藤原謙輔
みじか夜の ふけゆくままに 高砂の 峰の松風 
 ふくかとぞきく


藤原敦忠
伊勢の海の 千尋の浜に ひろふとも 今は何てふ 
かひが有べき


源 公忠
行きやらで 山路くらしつ ほととぎす いまひとこえの
聞かまほしさに


斎宮女御
琴の音に 峯の松風
かようらし 
いずれの緒より 
 しらべそめけむ


坂上是則
みよしのの 山の白雪 つもるらし 
ふるさとさむく 
 なりまさりゆく


源 宗干
みなもとのむねゆき
ときははる 松のみどりも 春くれば 
いまひとしほの 
 色まさりけり


藤原清正
天つ風 ふけいの浦に
いるたづの 
のどか雲居に 
帰らざるべき

藤原興風
たれをかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 
友ならなくに


藤原敏行
秋きぬと 目にはさやかに 見えねども風の音にぞ 
 おどろかれぬる


小大君
こおおぎみ
岩橋の 夜の契りも 絶えぬべし 
明くるわびしき 
葛城の神


大中臣能宣
おおなかのとみのよしのぶ
千とせまで かぎれる松も けふより
きみに引かれて
 よろづ代や経む

平 兼盛
くれてゆく 秋の形見に 置く物は 
わがもとゆひの 
 しもにぞ有ける


紀 貫之
さくらちる 木の下風は 寒からで 
空にしられぬ
 雪ぞ降りける


伊勢
三輪の山 いかに待ち見む 年経とも
たづぬる人も 
 あらじと思へば


山部赤人
わかの浦に 潮みちくれば かたおなみ 葦辺をさして  
 たづ鳴きわたる


僧正遍照
たらちねは かかれとしても うば玉の 我が黒髪を 
 なでずやありけむ


紀 友則
夕されば 左保のかわらの 川霧に 
友まよわする
 千鳥なくなり


小野小町
わびぬれば 身をうき草の ねをたえて
さそう水あらば  
 いなむとぞ思ふ

藤原朝忠
逢うことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも
うらみざらまし

藤原高光
かくばかり 経がたく見ゆる 世の中に
 うらまやしくも 
 澄める月かな

壬生忠岑
有明の つれなく見えし 別れより
暁ばかり 
 うきものはなし

大中臣頼基
おおなかとみのよりとも
ひとふしに 千代をこめたる 杖なれば
つきともつきじ
 君がよはひは

源 重之
風いたみ 岩うつ浪の おのれのみ
くだけてものを
 思ふころかな

源 信明
恋しさは 同じこころに あらずとも
今宵の月を
  きみみざらめや


源 順
みなもとのしたごう
水のおもに 照る月なみを かぞふれば 今宵ぞ秋の
 もなかなりける

清原元輔
秋の野の 萩の錦を ふるさとに 鹿の音ながら 
うつしてがな


藤原元真
さきにけり わが山里の 卯の花は
垣根に消えぬ
雪と見るまで

藤原仲文
ありあけの 月のひかりを 待つほどに わがよのいたく 
 ふけにけるかな


壬生忠見
焼かずとも 草はもえなむ 春日野を
ただ春の日に 
  まかせたらなむ


中務
なかつとむ
秋風の 吹くにつけても とはぬかな
萩の葉ならば 
 おとはしてまし

朱大杯



朱瓶子一対

岐阜県美濃名誉
図誌・明治28年
1895年刊


  渡邊俊明
新墾の磯の田づらも 人すみて
 塩釜ならぬ
  煙たつなり
(宮中歌会預選歌)
昭和8年に   
「千尋蔭社」建立

  横井祥祐
五十年を一日の如く もうできて 思頼(みたまのふゆ)を 仰ぐかしこさ
昭和39年に   
「千尋蔭社」建立

  井上宣祐
こがくれに   いるともしらで
やすらへば 一声なきて行く 郭公
明治26年に   
「千尋蔭社」建立

鳥居と拝殿

鳥居の横の池

鳥居と山車
竹鼻祭り

明治24年濃尾震災で押しつぶされた拝殿

拝殿の絵天井(旧)
104枚
宮脇有景(1804〜
1829頃)の作

拝殿の絵天井(新)
平成4年に新しく本絵を見本に、羽島市の絵画の会の方々によって画かれた絵に、取り替えられた

竹鼻を襲った濃尾震災で壊滅的な打撃を受けた町屋

竹鼻八劍宮絵地図
明治初年に画かれた絵図
 
八劍神社お拝殿天井絵
@
色彩は剥落

八劍神社お拝殿天井絵
A

八劍神社お拝殿天井絵
B

朱大杯
(裏面)
天保3歳(1832年)

朱大杯の漢字訳

朱瓶子一対
(裏面)
天保3歳(1832年)
寄附・石川県下能登国鳳至郡
輪島 柴垣善助

棟札@

棟札A

棟札B

棟札C

棟札D

棟札E

岐阜県美濃名誉
図誌・明治28年
1895年刊A
 現在の竹鼻八劍宮の景観・句碑・お拝殿の彩色天井絵・
三十六歌仙桧板彩色絵の扁額の一部を補充しました。

扁額裏面の裏書

現在の八劍神社の鳥居

現在の八劍神社の本殿
@

現在の八劍神社の本殿
A

現在の八劍神社の本殿
遠景

現在の八劍神社前の

渡邊俊明
新墾の 磯の田づら
人すみて
  塩釜ならぬ
   煙たつなり
(宮中歌会預選歌)
昭和8年に   
「千尋蔭社」建立

 横井祥祐
五十年を一日の如く もうできて 思頼(みたまのふゆ)を 
 仰ぐかしこさ
昭和39年に   
「千尋蔭社」建立

現在の八劍神社前の

洗心

井上宣祐
こがくれに   いるともしらで
やすらへば 一声なきて行く 郭公
明治26年に   「千尋蔭社」建立

井上宣祐の歌碑

狛犬

狛犬

現在の八劍神社の本殿
近影

八劍宮扁額

拝殿の絵天井(新)
平成4年に新しく本絵を見本に、羽島市の絵画の会の方々によって画かれた絵に、取り替えられた@

拝殿の絵天井(新)
A

拝殿の絵天井(新)
B

棟札@

棟札A

棟札B

棟札C

棟札D

棟札E

棟札F

八劍神社の池と松並木
昭和34年の伊勢湾台風でその姿を消した


竹ケ鼻城之跡の碑

竹ケ鼻城之跡の碑
の説明文
(羽島市教育委員会)

画・浅井高信
1896〜1979
十四世

八劍神社の宮司
(現・当主の父上)

・浅井高信
八劍神社の宮司
暁霧
むらむら登 霧ぞなかるる よひつれ亭 古登李すぎゆく 暁のや万
 

八劍神社の宮司の
浅井家系譜

拝殿の絵天井(新)
平成4年に新しく本絵を見本に、羽島市の絵画の会の方々によって画かれた絵

天井絵を指導された 故・丹羽長春
先生とその門下生
平成4年

剥げ落ちた天井絵
@

剥げ落ちた天井絵
@の赤外線写真

剥げ落ちた天井絵
A

剥げ落ちた
天井絵
Aの赤外線写真

三十六歌仙 桧板彩色絵の扁額の収納箱
 木製狛犬一対  木製狛犬一対の説明
木製狛犬・左

木製狛犬・右