大垣名物
「名物にうまいもの無し」。よく言われますが私の独断と偏見で紹介する大垣の名物は、うまいもの有りの見本です。
特別にお店からリベートをもらっているわけではありません。子供の頃から食べており最近のお菓子類よりも親しみがもてます。 あしからず。
・槌谷の柿羊羹
岐阜特産の堂上蜂屋柿(渋柿最高品種)の干柿は、旧くは祖税としてお米一升・柿一個の換算で納税されておりました。
また、この干柿は美濃柿として古来宮中へ献上され、平民は到底入ることのできなかった帝の御前まで干柿と共に入場を許されました。槌谷では以来この干柿を(御前白柿)と称し年末限定で発売しています。
この干柿の味を通年楽しめるのが柿羊羹とのことです。
柿羊羹は、一本七百円からです。
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槌谷なる名高き菓子司 美濃大垣にて 初代薗助より八代二百数十年の間 柿の菓子つくるなりわい ことに 諸国にもあまねく知られたるは いとも佳味なる柿羊羹 そも美濃は富有 堂上蜂屋など言へる柿のすぐれて多く産する所 この堂上蜂屋柿を取り入れ 乾し上げ かつ練り上げ 深沈たる琥珀の態に整へるは 四代目右助天保九年よりの秘伝 また身いと厚き竹をば器となすは 維新後の明治二十九年五代目祐斎の 試みをその始めとす 国々に数多の菓子あり 世々に幾多の菓子生る されど かほど味佳く 雅趣たたへしもの 美濃槌谷の柿羊羹をおきてはあらず 琥珀いろに流るる秋をせきとめて 柿やうかんはうるさとの味 五島美代子 (歌人) |
創業宝暦五年(1755年) つちや
大垣市俵町39番地
TEL 0584-78-2111
・金蝶饅頭・金蝶園饅頭
大垣名物の饅頭に金蝶園饅頭と金蝶饅頭の二つがあり、子供の頃から金蝶の二文字に親しんでいたため、金蝶園と言ったり、金蝶饅頭と言ってきました。どちらも同じ饅頭に私は見えますし、くべつ無く、おいしく食べてきましたので両方の店の由来を紹介しておきます。
どちらも大垣藩の家老小原鉄心のおほめの言葉から発しているようです。
北海道産の最高の小豆を大垣の湧水で充分晒しますのであっさりと淡泊な風味の餡(あん)がとれます。
皮からはほんのりと名酒の香りが立ち、豊かな風味の饅頭が製されます。
皮に砂糖が入っていないという特徴のため、皮が固くなりますが、そのままでも、又、蒸したり、焼いたりしていただきます。
金蝶園総本家の起源寛政十年(1798年)初代喜多野弥右エ門が菓子処「舛屋」を創業してより当代で七代目になる。大垣はその昔六つの川が市内を網の目のように流れ”水の都”と言われました。二代目弥三郎は、この水に合った菓子をつくろうと、京で菓業を修め、古来よりの饅頭に種々研究改良を加えて、安政二年(1855年)に独特の製法で現在の金蝶園饅頭を創り出しました。 |
名物金蝶饅頭の起源初代吉田寿江子刀自女ながらも菓子製造に志篤く其の製品常に大垣藩士小原鉄心翁に愛用せられ一日翁の別荘無何有荘に於ける観梅宴の折り難字んななれ共男子を凌ぐ慨あり果たして然らば古今に秀する銘菓を製せよと激励され奮然左右京に走って日夜研鑽数年後遂に会心の作を得翁に呈せるに翁一喫大いに其の美味なるを賞して之熱心の賞なりと指込に金の揚げ羽蝶の簪を授与せられたるを記念の商標となし金蝶饅頭と命名し売り出せるに忽ち江湖の称賛を博し当時名士等の上京の際郷土の土産品として愛用せられしを以て全国に其の名を知らるるに至る爾後二代長次郎初代の遺志を承け愈々品質の改良向上を図り名声発揚に努めたれば益々隆昌となり今や饅頭と云えば金蝶 金蝶と云えば饅頭のことと顧客に愛用せらる。 |
・みそ入り大垣せんべい
精選された原料に郷土の香り高き極上の糀味噌を配合して一枚、一枚丹精こめた手焼き煎餅です。 |
・白川郷
名物ではないが大垣の古い酒蔵として取り上げました。(酒飲みの独断です。)
蔵は、「奥の細道むすびの地」のすぐ近くで西へ歩いて数分です。建物は、痛んできていますが大垣の数少ない古いたたずまいの一つでしよう。
天保八年創業。大垣藩の家老、稲葉鉄心の名からつけられた「鉄心」の蔵だが、飛騨白川村で毎年十月に開かれる”どぶろく祭り”の土産用にと、白川村から依頼されて造ったのが「白川郷」である。 純米にごり酒は日本酒度(−)25,昔ながらのどぶろくの甘酸っぱい味がする。 通信販売は、3本から受け付けているようです。 三輪酒造 大垣市船町4−48 TEL 0584-78-2201 |