私が生まれ育った町、大垣の自然・歴史・文化を訪ねてみてください。



「おおがき」の名の発生

大垣の地名は、古く14世紀の南北朝時代に遡る。奈良東大寺領、美濃国大井荘関係文章によると、暦応三庚辰年(南朝の興国元年=1340年)大井荘花厳会料名寄帳の中に「大柿殿」とあり、次いで15世紀の中頃に至って、大井荘東大寺学侶石包名(いわかねみょう)代官職の「大垣氏信」が、年貢の上納を怠ったために文安二年(1445年)二月に改易されたが六年後の宝徳三年、改めて氏信の子・幸若丸が石包名田の代官職に補任されている。
このことから、さらに「おおがき」の名称が「大柿、または大垣」という文字で現れはじめたことが判る。

さらに下って、十六世紀の中頃、天文四乙未年三月(1535年)宮川吉左衛門尉 源安定が、牛屋村大尻に館を構えていた舅の大垣彦五郎長家を討ち取って、牛屋川の流れを要害に形取り大垣城を創建した、と伝えられており、また一説には、明応九庚申年(1500年)二月竹腰彦五郎尚綱が、安八郡牛屋郷に初めて城を築き、三十九年間在城し、天文七戊戌年(1538年)尚綱の没後、その兄竹腰七郎重綱の子・摂津の守重尚が襲封して大垣城主になったという。

以上、大垣の地名及び大垣城の名称の起源はおよそ推測される。


大垣の自然
山に、川に、湧き出る清水に、ふるさと大垣の再発見。

大垣の歴史
大垣は、西北部の山麓地帯から下に向かって栄えてきたようですね。

大垣の文学
史と詩の町大垣と呼ばれて史跡も多い。ほんの一部分だけでも

大垣の古寺
いつも何気なく通る道のお寺にもこんな歴史があったのか・・・

大垣城
市民のシンボル大垣城の歴史と伝説を少し・・・

松尾芭蕉と大垣
「奥の細道」結びの地と知られています。芭蕉は四回も大垣を訪れて多くの俳句を詠みました。


俳聖 芭蕉翁
芭蕉翁のページが増えた為、独立しました。奥の細道を読んでみて下さい。


大垣の古城
大垣には大垣城の他に二十余りの古城跡があること御存知でしたか?


水の恵みと水との戦い
豊かな川の水・地下水に恵まれた反面、常に水害に備えねばならなかった。

治水への取り組み
大垣の先人達の治水事業の歴史を紹介します。

大垣の名物
私の独断と偏見で選ぶと、・・・・・

水門川下り
秋の水門川を市街地から終点まで下ってみました。

大垣祭り
祭りといえば、繰り出される山車と屋台ですね・・


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