俳聖芭蕉逝く

                         芭蕉と大垣シリーズ   



元禄七年(1694年)芭蕉は旅中の大阪で病に倒れ、門人一同の必死の介護もむなしく、ついに十月十二日に世を去った。時に芭蕉は五十一歳。生前の遺志によって、近江国、大津の義仲寺に葬られた。

        辞世句

   旅に病んで夢は枯野をかけ廻る    はせを

芭蕉の追悼

芭蕉の死は、木因・如行を初めとする大垣俳壇の人達にも大きな衝撃を与え、如行が中心となり、城南船町の冷水山正覚寺において、追悼の供養と俳筵を、初七日・二七日・五七日・七七日の忌日ごとに催した。

ついで百箇日には、路通筆「芭蕉翁」石碑を建て、文字には金泥を埋め、盛んな百箇日追善の俳筵を挙行し、「後の旅集」を編んだのである。

これらのことを見ても、彼らの芭蕉追慕の情がいかに深かったかを知ることができます。



史跡芭蕉木因遺跡(船町正覚寺)


船町湊跡の高橋から船町を西へ徒歩十分で「正覚寺」があり、史跡に指定されています。

境内の奥に芭蕉その他の句碑が建ち並び、其の中央に「芭蕉翁」と刻した自然石の芭蕉追悼塚(尾花塚)がある。

碑面の書は路通筆、如行ら大垣連衆によって建立された物で、日本最古の翁塚として世に知られています。また、ここには、「木因墓」が翁塚と相語らう位置にあるので芭蕉木因遺跡といわれています。





俳諧の歴史


俳諧は、「誹諧」とも書き、文芸では「俳諧の連歌」の略称として用いられたものである。すなわち、正風(有心)連歌に対して「おかしい・ふざけた連歌」の意味をもっていた。

南北朝時代に「菟玖波集」を著した二条良基や、「新選菟玖波集」の著者で連歌師の宗祇らの出現で、室町時代連歌は文学的な権威を確立し、以後、安土・桃山時代にかけてその最盛期を迎えるに至った。

その間、連歌は、和歌的な優美の世界に近づこうとする有心連歌が、「滑稽」を旨とする無心連歌に対して有力となった。しかし、作法・約束事も難しくなって、一般庶民階層には縁遠い存在となっていったために、連歌に再び滑稽を回復させて大衆化しようとする動きが起こってきた。

十五世紀末から十六世紀の初め、戦国時代の中頃は、そういう動きがもっとも顕著に現れた時代であった。十五世紀末には編者不明の「竹馬狂吟集」が編まれ、十六世紀に入ると、山崎宗鑑の「犬筑波集」や、伊勢神官の長官荒木田守武の「守武千句」が出現し、後世に大きな影響を与えることになる。

こうして芽生えた庶民的文芸の「俳諧」は、織田・豊臣の時代を経て徐々に育ち、関ヶ原合戦以降は、安定した社会の中で生活力をつけてきた庶民階層の文芸的欲求とあいまって一挙に開花した。

まず、京都の松永貞徳が、全国の俳諧の中心人物として、平易通俗を主題として俳諧の普及につとめ、彼の率いるグループ「貞門」の勢力は全国を風靡した。

貞門の有力者の中には、芭蕉や大垣の谷木因の師である北村季吟もいた。

また、貞門俳諧に飽きたらず、さらに新奇を求めて、町人の町大阪では、西山宗因が「談林」風を開いた。この談林俳諧は、難しい約束事にとらわれず、思い切った卑俗性、滑稽味に富んでいたので、たちまち全国に流行し、貞門の俳人にも、木因や芭蕉にも一時的に影響を与えた。

このように、取り組み易さはあったが、低俗に流されていた俳諧を高度の芸術にまで高めたのが、俳聖松尾芭蕉である。

芭蕉は寛永二十一年(1644年)甲申の年、伊賀上野(三重県)の城下赤坂で生まれた。その頃、伊賀は藤堂藩二代目高次の治世であった。

芭蕉は、青年期を藤堂藩伊賀上野の侍大将藤堂新七郎家に仕え、当主良清の嗣子良忠(号 蝉吟)に近侍しともに俳諧をたしなみ宗房と号した。

ところが、主君蝉吟が僅か二十五歳で急逝きするや、二十三歳の多感な青年芭蕉は自ら退身を決断し、俳諧の世界に没入していったのである。

芭蕉は、庶民の日常生活の中に風雅の道を見いだし、平易な言葉を用いながらも、優雅な和歌に匹敵する香り高い芸術精神を俳諧に吹き込んでいった。

ここに俳諧は文学として完成され、彼の「わび」・「さび」を基調とする蕉風俳諧は全国に浸透して、蕉風が江戸時代俳壇の主流を占めるに至るのである。

当時の美濃俳壇も、貞門・談林俳諧の流れをくみながらも、この蕉風に接して初めて息の長い地域文化として根を張り、後世「美濃俳諧」として全国から注目される基礎を形成したのである。


「奥の細道むすびの地 大垣」  発行 大垣市・教育委員会より



芭蕉蛤塚忌全国俳句大会


平成8年10月20日に市総合福祉会館で開かれた芭蕉蛤塚忌全国俳句大会の席題の部の特別賞受賞者です。

席題の部には321人、643句の応募がありました。

大会賞
   陽の届く椅子ゆずり合う蛤塚忌     田辺桂月

芭蕉賞
   伊吹嶺のくっきり見えて蛤塚忌     五島久夫

木因賞
   木因の小さき墓や昼の虫        高橋敏郎

県知事賞
   行く秋の水しなやかに藻を梳けり    遠藤三鈴

大垣市長賞
   仙台の嫁も来たりし蛤塚忌       藤井正勝

県議長賞
   どの橋もわたれば秋の風匂ふ      五十嵐英雄

大垣市議長賞
   句碑に触れ川灯台にふれ秋思      江崎真一

県教委賞
   橋渡る一歩一歩に秋惜しむ       春日井秀夫

大垣市教委賞
   露けしや献句流しの舟傾しぐ      水野富美子





第4回芭蕉来垣               俳聖芭蕉翁