古寺を訪ねて
_
美濃国分寺跡・歴史民俗資料
国分寺・国分尼寺は、国家の泰平を願って天平十三年(741)聖武天皇の勅願によって全国に建立された。現在全国60余カ所の遺跡のうち、美濃国分寺跡だけが寺全体が整備され、全国に誇る文化遺産となっている。
歴史民俗資料館は、国分寺造営当時の史料や古代の遺物、民俗資料を展示し、歴史学習の拠点となっている。美濃国分寺資料館の奥に古いたたずまいを見せて美濃国分寺がある。江戸時代に発見された本尊の薬師如来像(3.09m)は、別名「馬だらい薬師」久しく土中にあって、それとも知らず背中の窪みで馬の脚を洗ったりしていたからその名を残す。ケヤキの一木彫で創建当時の作と伝えられ、一木彫成の木造薬師如来像として日本一の大仏様である。国指定重要文化財である。
円興寺
![]() |
|
金生山明星輪寺
![]() |
金生山の名は明星輪寺の山号である。 |
正円寺
![]() |
静里町の正円時境内にある経塚は、平安時代の終わりの頃仏教で言う末法思想の普及に伴い、各地の聖地・霊場につくられたものの一つである。 |
徳勝寺(青柳町)
![]() |
鐘楼は鎌倉時代に蒙古襲来の国難打開を神仏に祈願して鋳造された。 |
報恩寺
![]() |
綾野報恩寺の木彫り「薬師三尊十二神将像」は、永い間人知れず眠っていたものが発見されたものである。 |
宝光院と聚楽寺
毎年2月の節分会の豆まき行事と、杭瀬川の寒流にみそぎする裸祭りで有名な野口の宝光院は、小説「恩讐のかなたに」の僧・禅海の修業時代の話とまつわる駆け込み寺の伝説や文化財も多い。
隣の聚楽寺は高倉天皇勅願の史跡であり、また真宗開祖親鸞聖人ゆかりの寺である。
御首神社(荒尾町)
![]() |
天慶の乱(940)に滅ぼされた平将門の首を祀る。 |
如来寺
![]() |
長野・善光寺の建立にかかわった本多善光がここで「昼飯・ひるめし」をとったことから「昼飯・ひるい」の地名を残したと伝えられている。 |
お勝山と安楽寺
![]() |
慶長5年(1600)9月14日天下分け目の決戦の前日東軍徳川家康がこの山に最初の陣を構え、大垣城の西軍石田光成方に対陣したところ。 |
大垣八幡神社
![]() |
奈良時代の昔から東大寺領であった大垣をはじめ安八郡十八か村の総氏神として祀られてきた。
折々に 伊吹を見ては 冬ごもり 芭蕉 |
子安神社
![]() |
徳川3代将軍家光が世継ぎ誕生を祈願して御利益があり、それ以来将軍家のお目出度毎に境内の竹薮の竹で安産祈願の竹刀を献上した。 |
春日神社
![]() ![]() |
NHKドラマ「春日局」ゆかりの地(県指定重要文化財)神社は、奈良・春日大社の分社でありまして、春日四柱の大神様がご祭神です。 |