大垣の文学



史と詩の町おおがきと呼ばれる大垣市は大自然の静かなたたずまいの中で古来幾多の詩人・墨客の交友が多くその時代その折々の風情が偲ばれる遺跡が多い


・伊吹山さしも待つる時鳥  あおのが原をやすく過ぎぬる       為尹(千載集)
・たずねばや何れの苔の下ならむ  名は大かたの青墓の里      鴨長明(名寄)

伊吹山の秀峰を仰ぎながら、近江から美濃へと旅路をたどってきた人々はこのように青野ヶ原や青墓の里を印象深く歌い上げている


・匂うなる花はさながら赤坂の  名をあらわして咲くつつじかな   藤原為相(夫木集)
・渡し守ゆききにまもる杭瀬川  月の兎も夜や待らん        一条兼良(藤川記)

平安・鎌倉・南北朝・室町時代の雅びやかな貴人達の紀行文にみられるその折々の歌に詠まれた情景が浮かび上がってくる。


「十六夜日記」 阿仏尼
藤原為家の御室、阿仏尼が我が子への遺産相続控訴のため、鎌倉に下ったときの旅日記にある一首に鎌倉街道が偲ばれる。


・旅人は蓑うち払う夕暮れの   雨に宿かる笠縫の里      阿仏尼



「おあむ物語」

関ヶ原合戦のとき、西軍の本拠となった 大垣城 に立てこもった娘の落城物語。
(大垣公園内におあむの松がある)


「今昔物語」 平安後期

本朝世俗部の一説に「今は昔、美濃国に因幡河と言う大きなる河あり、雨降りて水出づる時は。」と輪中地帯の住まい・ 水屋 の様子を物語っている。


「美濃浪人」 司馬遼太郎

幕末に美濃赤坂宿の造り酒屋の矢橋家に生まれて、揖斐郡大野町西方の所家に養子して蘭医となり、長州藩の医員総督などを勤めた勤王志士、所郁太郎を主人公にした短編小説。


「花筵」 山本周五郎

宝暦治水の薩摩義士物語より十数年後、大垣藩士の妻お市の健気な生活ぶり、逃避行中に覚えた花筵の技術などが生々しく描写されている。


「細雪」 谷崎潤一郎

大阪船場の豪商を舞台にした典型的な家庭長編小説「細雪」には、大垣在の 蛍狩り の場面が出てくる。


蛤塚

大垣俳人の先覚・ 谷木因俳聖松尾芭蕉 との親交が深く、4度にわたって芭蕉が訪ねてきた。
奥の細道270年祭を記念して船町港に翁の遺筆を刻んだのが蛤塚である。


  蛤のふたみに別れゆく秋ぞ はせを



その他

連句塚・句道標・白桜塚などがあたりに建っている。また美濃路に面した船町正覚寺には 尾花塚(芭蕉碑)・木因の墓 ・支考・廬元坊の発句塚などがある。





大垣市の歴史               古寺を訪ねて