大垣の自然・歴史文学古寺 を訪ねて



大垣の自然





  







地域のあらまし


大垣市の地形は、山地・扇状地・低湿地の3つに分けられる。

北西部の青墓山などは、秩父古生層で砂岩や粘板岩からできており、東に統く金生山は石灰岩層で多くの化石をふくんでいる。これも古生代の地層で、どちらも2億年以上も前にできたという。

金生山の南東部には濃尾平野が広がっているが、大垣市は、この北西部にある。この辺りは、1万年から2万年ほど前に上流から流れでた土砂や粘土が堆積してできた新しい地層で、その上に豊かな自然が展開している。





水の都「大垣」

濃尾平野は、かって揖斐・長良・木曽三川が形成した平野で、中京自噴帯と呼ばれ、当地一帯には、いつもきれいでおいしい清水が噴き出していた。

それでいつしか「水都」と呼ばれるようになった。

大垣公園に「こんにゃくや文七」の顕彰碑がある。昔は河間(がま)や川の水を飲料水に使って、たいへんに不自由であったが、江戸時代の末頃に岐阜町に住む文七が掘抜きの自噴井戸を考案したことが、この碑に書いてある。

昭和10年代ころまでは、家々の井戸に自噴水を受ける水槽があった。目抜通りにはトコロテン、水まんじう、サイダー、ラムネ、スイカなどが冷やされて売られていた。ところが地下水を過剰に汲みあげたり、また河川改修などで水位が次第に低下してきた。

私の家にも自噴水の井戸があり中学生頃までは、お茶やスイカなどを冷やしていました。また、大垣駅前には、噴水塔があり木戸町の池などで亀を捕らえたら甲羅に自分の名前を書いて噴水塔にはなして見に行ったこともあります。残念ながら、噴水塔はなくなり、池の周辺も大きく変わってしまいました。

現在では市の北部から北東部にかけて、自噴水が見られるていどになった。そして河間・中川・清水・小泉・長沢・大升などの地名からも、きれいな水が豊かに流れていたことがわかる。

写真は、岐阜県の名水に選ばれている「加賀野八幡神社井戸」です。

一年を通じて水量が変わらず水質もよいことから大垣市内の代表として岐阜県の名水に選ばれています。

加賀野神社は古くは、世安(よやす)の荘の惣社で安産の神と伝えられ加賀野城跡の一部ともいわれている。

井戸水は、無料で開放されているためポット持参で汲みに来る人を多く見かけます。




植物分布のあらまし


大垣市は、温帯常緑樹林帯に属している。1年中緑のこんもりとした林の中は、ツブラシイ・アラカシなどが多く茂って薄暗いほどである。いまでは神社や寺院の森など、昔から大切に守られているところぐらいでしか見られなくなった。

平野部を流れる揖斐川・水門川・杭瀬川の堤防には帰化植物のヒメジョオン・アレチノギク・ヒメムカシヨモギなどが見られる。堤防の草は、毎年2回ぐらい刈り取るので、チガヤが多くなっている。

河原にはアシが多く、水辺にはマコモ・ヤナギタデが茂り、池などにはトチカガミ・ミズアオイ・サンショウモやヒシなどが水面をおおっている。


   .    大垣市の歴史