大垣市の歴史
地質時代
遠く2〜3.5億年もの大昔、赤坂金生山は地殻の変勒で海底から隆起し出来た。 |
創始から古代(縄文・弥生・古墳時代)を偲ぶ美濃文化発祥の地「青野ケ原」は市の西北部を占める。 |
地方豪族や王など有力者の氏寺が営まれ、やがて美濃国分寺(官立)が建立され、大和朝廷の中央集権国家の拡大強化にともなう地方文化振興への大きな役割を果たしてきた。 |
平安・鎌倉時代以後
けんらん華麗な平安時代の貴族文化が花開く時代から、武士が台頭しはじめ世に言う源平時代および鎌倉の武家政治となり、幕府が開かれていく。 |
中世(15世紀中ごろ)奈良東大寺領であった「大井荘」の推移の中で、牛屋砦・東大寺城などの名とともに荘官大垣氏の名があらわれ、「大垣・大柿」という地名が浮かび上ってくる。 |
寛永12年(1635)以来、戸田氏の11代続いた大垣10万石の城下町として発展してきたのは、すでに周知のところである。 |
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