俳聖 芭蕉翁(4)

                         俳聖 芭蕉翁シリーズ    



奥の細道(2)

【石の巻】 5月10日(新暦6月26日)

十二日、平和泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞伝て、人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道そことも
わかず、終に路ふみたがえて、石の巻といふ湊に出。
「こがね花咲」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、
竈の煙立ちつゞけたり。
思ひかけず斯る所にもきたれる哉と、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。
漸まどしき小家に一夜をあかして、明れば叉しらぬ道まよひ行。
袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、遥なる堤を行。
心細き長沼にそふて、戸伊摩と伝所に一宿して、平泉に到る。
其間廿余里ほどゝおぼゆ。


【平泉】 5月12日(新暦6月28日)

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。
秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。
先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。
衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。
泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。
偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打累て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。

     夏草や兵どもが夢の跡

     卯の花に兼房みゆる白毛かな    曾良

兼て耳驚したる二堂開帳す。
経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。
暫時千歳の記念とはなれり。

     五月雨の降のこしてや光堂


【尿前の関】 5月14日(新暦6月30日)

南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。
小黒崎・みづの小島を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。
此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。
大山をのぼって日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。
三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

     蚤虱馬の尿する枕もと

あるじの伝、是より出羽の国に、大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。
究竟の若者、反脇差をよこたえ樫の杖を携て、我々が先に立て行。
けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。
あるじの伝にたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。
雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。
かの案内せしおのこの伝やう、「此みち必不用の事有。恙なうをくりまいらせて仕合したり」と、よろこびてわかれぬ。
跡に聞てさへ胸とゞろくのみ也。


【尾花沢】 5月17日〜(新暦7月3日〜)

尾花沢を清風と伝者を尋ぬ。
かれは富るものなれども志いやしらず。
都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。

     涼しさを我宿にしてねまる也      

     這出よかひやが下のひきの声

     まゆはきを俤にして紅粉の花

     蚕飼する人は古代のすがた哉    曾良


【立石寺】 5月27日(新暦7月13日)

山形領に立石寺と伝山寺あり。
慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。
日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。
岩に巌を重て山とし、松柏年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。
岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。

     閑さや岩にしみ入蝉の声


【最上川】 5月28日〜(新暦7月14日〜)

最上川のらんと、大石田と伝所に日和を待。
爰に古き俳諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻残しぬ。
このたびの風流、爰に至れり。
最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。
ごてん・はやぶさなど伝あそろしき難所有。
板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。
左右山覆ひ、茂の中に船を下す。
是に稲つみたるや、いな船といふならし。
白糸の滝は青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。
水みなぎつて舟あやうし。

     五月雨をあつめて早し最上川


【羽黒】 6月3日(新暦7月19日)

六月三日、羽黒山に登る。
図司佐吉と伝者を尋て、別当代会覚阿闍梨に謁す。
南谷の別院に舎して、憐愍の情こまやかにあるじせらる。
四日、本坊にをいて俳諧興行。

     有難や雪をかほらす南谷

五日、権現に詣。
当山開闢能除大師は、いづれの代の人と伝事をしらず。
延喜式に「羽州里山の神社」と有。書写、「黒」の字を「里山」となせるにゃ。
羽州黒山を中略して羽黒山と伝にゃ。
出羽といへるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と風土記に侍とやらん。
月山湯殿を合て三山とす。
当時武江東叡に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。
繁栄長にして、みで度御山と謂つべし。
八日、月山にのぼる。
木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭を包、強力と伝ものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ、息絶身こゞえて頂上に臻れば、日没て月顕る。
笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。
日出て雲消れば、湯殿に下る。
谷の傍に鍛冶小屋と伝有。
此国の鍛冶、霊水を選て、爰に潔斎して剣を打ち、終「月山」と銘を切て世に賞せらる。
彼竜泉に剣を淬とかや。
干将・莫耶のむかしをしたふ。道に堪能の執あさからぬ事しられたり。
岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。
ふり積雪の下に埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。
炎天の梅花爰にかほるがごとし。
行尊僧正の歌の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゆ。
惣て、此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。
仍て筆をとゞめて記さず。
坊に帰れば、阿闍梨の需に依て、三山順礼の句々短冊に書く。

     涼しさやほの三か月の羽黒山

     雲の峰幾つ崩て月の山

     語られぬ湯殿にぬらす袂かな

     湯殿山銭ふむ道の泪かな     曾良


【酒田】 6月13日(新暦7月29日)

羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と伝物のふの家にむかへられて、俳諧一巻有。
佐吉も共に送りぬ。
川舟に乗りて、酒田の湊に下る。
淵庵不玉と伝医師の許を宿とす。

     あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ

     暑き日を海にいれたり最上川


【象潟】 6月18日〜(新暦8月3日〜)

江山水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸を責。
酒田の湊より東北の方、山を越、磯を伝ひ、いさごをふみて其際十里、日影やゝかたぶく比、汐風真砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。
闇中に莫作して「雨も又奇也」とせば、雨後の晴色叉頼母敷と、蜑の苫屋に膝をいれて、雨の晴を待。
其朝天能霽て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。
先能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。
江上に御陵あり。神功后宮の御墓と伝。
寺を干満寺と伝。
此処に行幸ありし事いまだ聞ず。
いかなる事にや。
此寺の方丈に座して簾を撒ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海、天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。
西はむやむやの関、路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道遥に、海北にかまえて、浪打入る所を汐こしと伝。
江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。
松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。
寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。

     象潟や雨に西施がねぶの花

     汐越や鶴はぎれて海涼し

   祭礼

     象潟や料理何くふ神祭        曾良

     蜑の家や戸板を敷て夕涼       低耳

   岩上に雎鳩の巣をみる

     波こえぬ契ありてやみさごの巣    曾良


【越後路】 6月26日(新暦8月11日)

酒田の余波日を重て、北陸道の雲に望。
遥々のおもひ胸をいたましめて、加賀の府まで百卅里と聞。
鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関に到る。
此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。

     文月や六日も常の夜には似ず

     荒海や佐渡によこたふ天河


【一振】 7月12日(新暦8月26日)

今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど伝北国一の難所を越て、つかれ侍れば、枕引よせて寐たるに、一間隔て面の方に、若き女の声二人計ときこゆ。
年老たるおのこの声も交て物語をするをきけば、越後の国新潟と伝所の遊女成し。
伊勢参宮するとて、此関までおのこの送りて、あすは古郷にかへす文したゝめて、はかなき言伝などしやる也。
白浪よする汀に身をはふらかし、あまこのこの世をあさましう下りて、定めなき契、日々の業因、いかにつたなしと、物伝をきくきく寝入て、あした旅立に、我々にむかひて、「行衛しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍ん。衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ」と、泪を落す。
不便の事には侍れども、「我々は所々にてとゞまる方おほし。只人の行にまかせて行べし。神明の加護、かならず恙なかるべし」と、伝捨て出つゝ、哀さしばらくやまざりけらし。

     一家に遊女もねたり萩と月

曾良にかたれば、書とゞめ侍る。


【那古の浦】 7月14日(新暦8月28日)

くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古と伝浦に出。
担籠の藤浪は、春ならずとも初秋の哀とふべきものをと、人に尋れば、「是より五里、いそ伝ひして、むかふの山陰にいり、餘の苫ぶきかすかなれば、蘆の一夜の宿かすものあるまじ」といひをどされて、かゞのくにに入。

     わせの香や分入右は有磯海


【金沢】 7月15日(新暦8月29日)

卯の花山・くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也。
爰に大坂よりかよふ商人何処と云者有。
それが旅宿をともにす。
一笑と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、
其兄追善を催すに、

     塚も動け我泣声は秋の風

   ある草庵にいざなはれて

     秋涼し手毎にむけや瓜茄子  

   途中吟

     あかあかと日は難面もあきの風


【小松】 7月24日(新暦9月7日)

   小松と伝所にて

     しほらしき名や小松吹萩すゝき

此所、太田の神社に詣。
実盛が甲・錦の切あり。
往昔、源氏に属せし時、義朝公より給はらせ給とかや。
げにも平士のものにあらず。
目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり。
実盛討死の後、木曽義仲願状にそへて、此社にこめらし侍よし、樋口の次郎が使せし事共、
まのあたり縁起にみえたり。

     なざんやな甲の下のきりぎりす


【那谷】 

山中の温泉に行ほど、白根が獄跡にみなしてあゆむ。
左の山際に観音堂あり。
花山の法皇、三十三所の順礼とげさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置し給ひて、那谷と名付給ふと也。
那智・谷汲の二字をわかち侍しとぞ。
奇石さまざまに、古松植ならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也。

      石山の石より白し秋の風


【山中】 7月27日(新暦9月10日)

温泉に浴す。
其功有明に次と伝。

     山中や菊はたおらぬ湯の匂

あるじとする物は、久米之助とて、いまだ小童也。
かれが父俳諧を好み、洛の貞室、若輩のむかし、爰に来りし比、風雅に辱しめられて、洛に帰て貞徳の門人となって世にしらる。
功名の後、此一村判詞の料を請ずと伝。
今更むかし語とはなりぬ。
曾良は腹を病て、伊勢の国長島と伝所にゆかりあれば、先立て行に、

     行き行きてたふれ伏とも萩の原   曾良

と書置たり。
行ものゝ悲しみ、残ものゝうらみ、潟鳧のわかれて雲にまよふがごとし。
予も又、

     今日よりや書付消さん笠の露


【全昌寺・汐越の松】 8月上旬

大聖寺の城外、全昌寺といふ寺にとまる。
猶加賀の地也。
曾良も前の夜、此寺に泊て、

     終宵秋風聞やうらの山

と残す。一夜の隔千里に同じ。
吾も秋風を聞て衆寮に臥ば、明ぼのゝ空近う読経声すむまゝに、鐘板鳴て食堂に入。
けふは越前の国へと、心草卒にして堂下に下るを、若き僧ども紙・硯をかゝえ、階のもとまで追来る。
折節庭中の柳散れば、

     庭掃て出ばや寺に散柳

とりあへぬさまして、草鞋ながら書捨つ。
越前の境、吉崎の入江を舟に棹して、汐越の松を尋ぬ。

   終宵嵐に波をはこばせて
     月をたれたる汐越の松     西行

此一首にて数景尽たり。
もし一弁を加るものは、無用の指を立るがごとし。


【天竜寺・永平寺】 8月上・下旬

丸岡天竜寺の長老、古き因あれば尋ぬ。
又、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて此処までしたひ来る。
所々の風景過さず思ひつゞけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。
今既別に望みて、

     物書て扇引さく余波哉

五十丁山に入て、永平寺を礼す。道元禅師の御寺也。邦機千里を避て、かゝる山陰に跡を
のこし給ふも、貴きゆへ有とかや。


【等栽】 8月12日(新暦9月25日)

福井は三里計なれば、夕飯したゝめてでるに、たそかれの路たどたどし。
爰に等栽と伝古き隠士有。
いずれの年にか、江戸に来りて予を尋。
遥十とせ余り也。
いかに老さらぼひて有にや、将死けるにやと人に尋侍れば、いまだ存命して、そこそこと教ゆ。
市中ひそかに引入て、あやしの小家に、夕貌・へちまのはえかゝりて、鶏頭・はゝ木々に戸ぼそをかくす。
さては、此うちにこそと門を扣ば、侘しげなる女の出て、「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは此あたり何がしと伝ものゝ方に行ぬ。もし用あらば尋給へ」といふ。
かれが妻なるべしとしらる。
むかし物がたりにこそ、かゝる風情は侍れと、やがて尋あひて、その家に二夜とまりて、名月はつるがのみなとにとたび立。
等栽も共に送らんと、裾おかしうからげて、路の枝折とうかれ立。


【敦賀】 8月14日(新暦9月27日)

漸白根が獄かくれて、比那が嵩あらはる。
あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穂に出にけり。
鶯の関を過て、湯尾峠を越れば、燧が城、かへるやまに初鳫を聞て、十四日の夕ぐれ、つるがの津に宿をもとむ。
その夜、月殊晴たり。
「あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたし」と、あるじに酒すゝめられて、けいの明神に夜参す。
仲哀天皇の御廟也。
社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂霜を敷るがごとし。
往昔、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ、泥渟をかはかせて、参拝往来の煩なし。
古例今にたえず、神前に真砂を荷ひ給ふ。
「これを遊行の砂持と申侍る」と、亭主のかたりける。

     月清し遊行のもてる砂の上

十五日、ていしゅの詞にたがはず雨降。

     名月や北国日和定なき

【種の浜】 8月16日(新暦9月29日)

十六日、空晴たれば、ますほの小貝ひろはんと、種の浜に舟を走す。海上七里あり。
天屋何某と云もの、破籠・小竹筒などこまやかにしたゝめさせ、僕あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。
浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり。
ここに茶を飲、酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ、感に堪たり。

     寂しさや須磨にかちたる浜の秋

     浪の間や小貝にまじる萩の塵

某日のあらまし、等栽に筆をとらせて寺に残す。

【大垣】 8月21日〜9月6日(新暦10月4日〜18日)

露通も此のみなとまで出むかひて、みのヽ国へと伴ふ。
駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、
越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。
前川子、荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、
且悦び、且いたはる。
旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、
又舟にのりて、

     蛤のふたみにわかれ行秋ぞ






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