'23/3/11(土)
~ テリーからのメッセージ ~
前夜は、午後9時半頃までレストラン・カザリスで夕食の一時を楽しんだ。帰宅後は帰国のための荷造りをしながら、テリーにルアーボックスへメッセージを書いてもらう。これは言わば、恒例行事。豪州遠征を始めた頃からずっと、彼や彼の家族・友人にメッセージを書いてもらっているので、我が家にはメッセージ入りのボックスが山積みになっている。これらのメッセージを読み返せば、何年経ってもその時の事をアレコレ思い出し、何度も遠征気分を楽しめるのである。
初期の頃は、バラマンディ釣りの方法が理解できず、「アワセるな」「慌てるな」「ドラグは緩めろ」「そっちじゃなくて、こっちだ」などと、テリーに何度も怒られていたのは苦い思い出。若かりし頃は、瞬間湯沸かし器と呼ばれたくらい血気盛んな彼。「高いお金を払って雇ったガイドに怒られるなんてありえんわー」などと反発もしたが、「遠く日本から来た客に絶対バラマンディを釣らせたい」という熱意からのアドバイスだった。
ガイド業から引退し、釣行回数がめっきり減っているようだが、彼の腕は確かなまま。歳を重ねすっかり性格が丸くなった彼からは、「トシ、そんなに怒るなよ」と言われる始末。今回の遠征では、同行した嫁さんが色々とやらかしたので、度々私の機嫌が悪かったのを指摘されてしまった。「1回怒ると、1日寿命を失うぞ」・・・かつて私が彼に教えた言葉。彼は、未だにそれを覚えていて、その言葉をそのまま返されてしまった。「トシ、嫁さんを怒るな、大事にしろよ」と。今やテリーが、何かとやらかすマリアさんに示す寛容な態度は、私のお手本なのである。
~ 遠征最終日の朝 ~
ケアンズ最終日の朝は、少し遅めの午前6時に起床。夜中に胃腸の具合が悪くなり、2回もトイレに行き、起床してからもトイレに行ったりと下痢気味でお腹が落ち着かない。夕食が原因だったら、同じ物を食べた同行者が同じようになるハズ。思い起こせば、ケアンズ初日からシクシクと腹痛がしたりと変だった。何が原因なのか分からなかったが、お腹が緩い状態で日本までの空路7時間の旅はちょっと辛い。とは言え、お腹は空いているので朝食を頂く。いつものシリアルは少なめにしてトーストを追加。久しぶりにベジマイトを塗って食べてみた。焼いたパンに、しょっぱい味噌を塗って食べるのと同じ感じなのだが、やはり私の口からは「美味しい!!」という言葉は出てこない。オーストラリアでも若い世代では食べない人も増えているらしい。「美味しいから食べる」と言うよりは、「健康に良い」という理由で食べ続けられているようだ。
食後は、近所にある公園、シティービューパークで散歩をする。園内には朴葉にそっくりな大きな葉が沢山落ちていた。果実の様な物も落ちているので、珍しくて写真を撮っているとテリーがインディアンアーモンドだと教えてくれた。果実はもっと太くなり、中の硬いタネを鳥が食べるらしい。昔は、この実から搾油したり、子供達が大きな葉っぱでお面を作って遊んだりしたのではなかろうか。ケアンズ市街地には、アチコチに散歩が出来る公園があり、緑が溢れている感じで居心地が良い。本日の天気は快晴、気温は23~32℃。静岡県は最高気温で22℃くらいか。朝の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んで、ケアンズ最終日の朝を楽しんだ。
~ Cancelledの意味は?~
午前8時過ぎ、ケアンズ国際空港に到着。いつもなら、カウンターの前に団体客が並んでいるハズだが妙にフロアーがガランとしている。出発時間は間違えておらず、何かアクシデントがあったにしては静か過ぎる。頭上の電光掲示板を眺めると、私達の乗る便の横に赤字でCancelledって書いてあった。
「えっ、ヤバッ」と私は直ぐに事態を把握。開いているジェットスターのカウンターに詰め寄り、スタッフに様子を聞く。キャンセルの理由はハッキリ説明してもらえなかったが、私達が乗る飛行機が日本から飛んで来ていないらしい。スタッフは、「明日の便に振り替えるか?」「宿泊が必要なら、提携しているホテルに部屋を確保する」と言っている。
いつも同じ時間帯に飛ぶ、関西空港行きの便は何故かない。一体、何が起きているのだろうか・・・関西空港行きの便があって乗れたとしても、空港に降ろされた後、国内移動で困ってしまう。日本に帰るには明日の便しかない。当然、明日の便には、当初から乗る人が席を予約しているハズだから、私達2人が座れる席があるかどうか・・・。こんな時は、格安チケットを買った人より、ジェットスターからダイレクトに正規価格で買った私達のチケットの方が優位なハズ。それでもグズグズしてると、席が埋まってしまう可能性もあるので即決。スタッフに明日の便の席を確保を依頼すると共に、嫁さんに自宅に向かって走っているテリーを電話で呼び、空港へ戻ってもらうよう頼んだ。
明日の便は、無事に2座席確保できた。航空会社が用意するホテルに宿泊すれば、宿泊費や食事代・交通費が浮きそうだが、空港とホテルの行き来が面倒になりそうだったのでパス。途中で車をUターンしてきたテリーに「もう1泊させてくれ」と頼んで了解を得て肩の力が抜けた。なんらかのトラブルに対応するため、1日余分にお休みを確保しておいて良かった。仕事の事を心配せず、もう1日、のんびりとケアンズに滞在出来るのだ。
~ まさかの帰国便欠航 ~
フロアーに日本人女性2人組みがいて、状況がまだ呑み込めていない様子。彼女達に話し掛けて「キャンセルは、欠航のこと。飛行機が飛ばないみたいです」とお伝えすると、「えぇ~ヤダ~」「どうするの」と慌てだした。旅行代理店のツアーは、航空会社から代理店へ事前連絡がされているため対処できるが、個人旅行だとそうも行かない。私達のように空港ロビーの電光掲示板で当日その場で知ることになる。彼女達には、直ぐにカウンターで明日の便の座席とホテルの部屋を確保するようアドバイスして別れた。
テリー宅へ向かう車中では、あらためてテリーにお礼を伝える。まさかの帰国便欠航とは。欠航の場合、手続きをしていた嫁さんのスマホにメールが届くハズなのだが、届いていなかった。お知らせは、日本国内だけのサービスだったのか?状況が十分把握出来ないままテリーのお宅に到着した。テリーがインターネットで調べてくれたが、日本の天候不順で飛ばないのではなく、何らかの機体のトラブルがあった様子。ジェットスターは格安航空会社なので、予備機体は準備出来ないのだろう。日本から飛行機が飛ばないと言うことは、この週末でケアンズ旅行を楽しみにしていた方々も、出国出来なかったに違いない。
長年、豪州遠征をやっているが、過去に一度、日本出発の際に欠航した事があった。この時は、単独遠征。今回と同様、国際線出発ロビーで電光掲示板を見て初めて知った。航空会社のスタッフからは「翌日便への振り替え」を進められたが、別案で示された当日発のゴールドコースト行きに乗り、国内線に乗り換えてケアンズに辿り着いた。初めて降り立つ異国の空港で、案内してくれる人もいない。相談する相手もない状況下での乗り継ぎは、結構辛かったのを今でも覚えている。
流石に今日も釣行って訳には行かないので、のんびり過ごす事になった。整理整頓がされているテリーの工房を拝見し、いつ完成するか全く分からないレストア中の古いトラックを見せてもらう。釣りよりは、むしろコチラの方に没頭しているようでインターネットを活用して、夜な夜な同好者との交流を図っているらしい。
~ 年配オージー達の過ごし方 ~
お庭をぐるっと案内してもらった後、テリーとマリアさんに連れられて昨晩訪れたレストラン・カザリスにお茶を飲みに行く。カフェでのんびりとお茶と会話を楽しむのが第一線を退いたオージー達の過ごし方。カフェコーナーの一角を陣取り、結構な人数のバアちゃん達が編み物をやっている。空いている席を探していると、テリーの古き友人ケビン御一行がお茶をしていた。彼とはケアンズの西方800Km、ぶっ通しに原野を走って9時間は掛かるカルンバやヒンチンブルック島で一緒に釣りへ行った間柄。彼には用意しておいた柿の種やジャガリコを手渡し、再会を喜び合う。
テリーは退職後、釣りをやったり、テニスをしたりと人生を楽しんでいる様子。ここでは、高度な医療技術と恵まれた健康福祉制度により、ゆっくりのんびりと老後を過ごせるのだろう。周囲を見渡すと皆さんは、コーヒーや紅茶を飲んでいるようだが、私はフレッシュなオレンジジュースが飲みたくなって注文。オーストラリアはオレンジの大産地。生の果実をギュッと絞って作ったジュースを飲んでみたかった。大き目なグラスにたっぷりと注がれたジュースの味は、期待どおり美味しかった。しかし・・・お値段にはビックリ。生産地なのでジュースは安いかと思いきや、何と1杯 7.5A$もした。
~ 伝説の名キャプテン・バリー ~
食品スーパーColesで買い物をした後、テリー宅に戻って昼食。レタス、トマト、ハムをたっぷりと挟んだサンドウィッチを手早く作ってバクつき、御気に入りのジンジャービアで流し込む。ジンジャービアが飲めるのも今日で終わりかと思うと残念でならない。テリーから、夕方にケアンズで有名なオールド・ルアー収集家の家に連れてくからそれまでゆっくりくつろげと言われた。荷造りは住んでいるし、自分達だけでは何処にも行けないので部屋でゴロゴロしながら読書をしたり、釣行データを整理したりして過ごす。
午後4時に出発。車中では、訪問先のお話を聞く。オーストラリアのオールド・ウッドルアーを収集しており、テリーが持っていたルアーも相当数提供したらしい。フィッシングガイドとしても腕は良く、有名な人だという。車に乗って数分で収集家のお宅に到着。ガレージの軒先には、ジャンボラパラが掲げられていた。紹介されたのは、バリー・クロス。挨拶をして案内されたのは、カギが厳重に掛けられた奥の部屋。この部屋に入った瞬間、「おぉぉぉぉぉ~」と声が出てしまった。
ショーケースの中だけでなく、壁や天井にも極彩色なルアーや様々な漁具、珍品・名品が所狭しと並べられていた。膨大なコレクションの横に掲げられていたのは1989年と1993年の釣り雑誌Angling。「見覚えのある表紙・・・この号は、確かに昔読んだことがある!!」 パラパラとページをめくっていると、先程聞いたばかりの名前がそこにあった。
なんと、私の目の前にいるのは、GT釣りのエキスパートで名キャプテンのバリーだった。日本におけるソルトウォーターフィッシングの黎明期、諸先輩が大変お世話になったであろうフィッシング・ガイトだった。彼とテリーがケアンズでのフィッシングガイドの仕組みを構築し、GTという呼称を広めたのである。その2人が私の前に立ち、OZイングリッシュでガヤガヤと大きな声で話をしているのだ。
昔のオーストラリアのウッドルアーは、日本のリアルな塗装を施したルアーとは真逆。子供が筆で模様を描いたり色付けしたようなルアーは、本当に味わい深い。この秘密の部屋に入ってからは、テンションが上がりっぱなし。コレクションを1つずつ見るたげで丸一日ここで過ごせそうだったが、度々咳込むバリーからカゼをうつされてはマズイ。夕食の場所も決めてあるようなので、後ろ髪引かれながら伝説の名キャプテンのお宅訪問は終了となった。
~ ケアンズ最後の夜はタイ料理 ~
夕食は、ケアンズ市街地から少し外れた所にある老舗のタイ料理店タイコインズ。観光客が入るお店ではなく、地元の方々が通うレストラン。店内にはアジアンテイストな置物が沢山置かれ、いかにも美味しそうなお店。メニュー表を見るが、写真が付いていないので何がなんだが良く分からない。英文字表記なのだが、タイ語になっているのか料理名を読んでも理解不能。英語の説明文を拾い読みするしかない。お腹の具合を気遣って、辛くなく、油っぽくない料理をメニューから探し出しす。
選んだのは、タイ炒飯(シーフード)KAO PAD BOEW(20.95A$)とエビ入りのスープヌードルLAKSA SOUP(21.95A$)。テリー夫婦はお肉とサラダ、ご飯をチョイス。飲み物はビールとアップルジュース。どれもボリュームがあるのでシェアして食べるのが正解なのだろうが、自分が注文していたタイ炒飯は自身で完食した。私達2人は、もう十分お腹が一杯だったが、マリアさんが「デザートを注文しよう」と言うのでお任せする。注文したのはアイスの天婦羅。わざわざ衣をつけてアイスを揚げなくても良いのに、どうやらコレがお勧めらしい。
家に直帰するのではなく、海岸通りまで走り、海沿いにあるプロムナードをブラブラと散歩する。沿道はライトアップされており、キラキラと輝いている観覧車は、日本に比べて遥かに早いスピードでグルグル回っている。出歩いている人は多いが、すれ違った日本人は僅か2組。新型コロナの渡航制限の影響で、日本人観光客はまだまだ限られているのだろう。こちらでは、マスクを付けている人なんて1人もいない。
帰路は少し回り道をして山に上がり、ケアンズ市街の夜景を見渡せる場所へ。今朝は、日本への帰国便が欠航になって愕然としたが、おかげで色々な経験をし、新たな出会いもあって、一日とても楽しめた。後から判明したのだが、ジェットスターから欠航のお知らせメールが嫁さんのスマホに配信されていた。配信時刻を確認すると、夜中の2時過ぎ。しかし、この連絡メールは何処かで止まっていたようで、空港に到着した時点では手元に届いていなかった。さて、明日は無事に帰国出来るかな。
次のページへ
前のページへ
バラマンディ攻略ルアー・インプレッション
オーストラリア遠征目次へ